足りない介護生み出す 障害者みずから事業所

【朝日新聞 2013.8.24(土)生活面】

 先週はニュース切り抜き帖、気づいたら書きませんでした。先週取り上げるのは、先々週の切り抜きなんですが、先々週はお盆ウイークで、新聞紙上もめぼしい記事がなかったのです。こうやってコラムに取り上げようと意識的に紙面を見るようになって、「ニュースにも夏枯れや季節があるんだ」と気づきました。
 さて、きょうは標題の記事。
 自宅で暮らす重度身体障害の人は、公的介護サービスがないと暮らしていけません。が、介護報酬が低く設定されているため(行政の問題)、引き受けてくれる介護事業所が見つからない。そこで、京都の障害者が自分で事業所を立ち上げた、という記事がありました。


 この人自身(京都市)が、重度障害がありながら公的介護を十分に利用できなかった(その分、家族が背負い込まざるをえなかった)経験から、NPOを設立して、重度身体障害者向けの事業所を立ち上げたそうです。
「待っていても始まらない。自分でつくろう。おなじように困っている学生を助けたい」
 かつて自分も立命館大学の学生であったことから、大学に通学する重度障害の学生にヘルパーを派遣するために学生ヘルパーを育てるところから始めたとのこと。
 同じように、障害者自身が障害者のための介護事業所を立ち上げた、佐賀の事例も紹介されていました。

 私がどうしてこういう記事に目を引かれるか、というと……。

 なるほど、私たち性的マイノリティも、暮らしのなかでいろいろ困ることはあるわけです。だけど、それを解決するためにどんなことをしているんだろう、というと、なにもしてないなあ、と……。ただツイッターで社会への不満をぶつけたり、それをRTしたり「イイネ」して、なにかやった気になって、それで終わってるんじゃないか、といつも思うのです。
 その点、記事のような障害者の事例は、「施設に収容されるんじゃない、自分で(健常者の人がそうであるように)好きなように暮らすんだ、でも困ることがある、じゃ、社会や行政に訴えてもラチがあかないなら自分たちでできることはやってしまおう、自分の生き方は自分で決める」という、実社会に向き合うガッツがある。

 こうした自立生活運動といわれるような動きは、日本でもすでに30年近くの歴史をもっています。昔、ダスキンが障害者をアメリカに短期研修に送り出す制度もあって、アメリカの障害者運動をまのあたりにし、勇気をもらって帰ってきて、それ以外にもいろいろなきっかけや要因もあって、日本でも動きはじめた人たちがいっぱいいる……日本の障害者運動史はそうです。
 
 足りないなら、できないなら、自分で立ち上がって自分で作る……。
 性的マイノリティも同じことがやれるはずだ、と私は信じています。自分たちが本当に幸せになるために。


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