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「在宅ひとり死」「地域で看取り」と言うけれど

【朝日新聞 2013.6.14(オピニオン欄)】


 都議選のテーマともなる「巨大高齢都市・東京」。東京以外にも、高度成長時代に団塊世代が流入移住した大都市圏は、じつは今、どこもおなじ課題にさらされています。
 この日のオピニオン欄では3人の論者が、「老いゆく街の中でどう暮らしていけばいいのだろうか」という問いをめぐって、インタビューに答えていました。


 元厚労省の次官で、東大高齢社会総合研究機構特任教授の辻哲夫さんは、柏市の団地(65歳以上率はすでに4割超)で、市やUR(都市再生機構。昔の住宅公団)と共同でモデル事業に取り組みます。
 高齢化で、医療や介護が絶対的に不足する。病院も特別養護老人ホームも急には増やせない。カネもいる。なら、どうする。「在宅」(地域)だ、とーー。「住み続けられるまちプロジェクト」だそうです。
 まあ、(元)厚労省のエラい人が描く未来図ですが、そのとき「地域」に現に生きている性的マイノリティはどう目されるのか。地域にいるのは「標準家族」な人ばかりではありません。何回も、何回も、何回も言っても、まだ言い続けなければならない問題かもしれません。

 名古屋近郊でも、おなじ課題は生じています。春日井市郊外の大学の戸田香さんも、同様の問題に取組み、一人住まい高齢者に学生が同居し、世代を超えてつながりあえる街ができないか、など語っています。
 夢はうるわしいのですが、「交流を望まない人も多いのが都市。押しつけはできません」「地道に進めていきたい」と。イイネ、ステキ!、と現実が違うのは、どこも同じ話です。

 3人目は、ごぞんじ上野千鶴子先生。団塊世代の当事者として(1948年生まれ)、団塊世代の死に方を提唱します。
「訪問看護や医療の支援も受けて在宅ひとり死ができればよいのです。1人で死んだからといって孤独死と呼ばれる必要はありません」。
 ただ、そのためには条件があります。訪問看護や訪問医療を十分に使って、安心して〈在宅ひとり死〉するには、現在の介護保険の上限額まで使っても不十分。その足りない分は、自己負担でサービスを買うことが必要です。現金が少ない人は、資産(持ち家)で死後清算する(リバースモーゲージですな)。え、そんなことできるのか、ですって? 団塊世代は貯蓄額も持ち家率も高いと、この社会学者は先刻、調査済みです。
 それでも払えない人はどうするか。終末期に限っての減免措置を設けたらいい。病院や施設で死なせるよりも財政的にもそのほうが安上がりだ、と。
 ともかく子孫に美田を残さず、自分たちで稼いだものは、自分たちで使い切って行きましょう、と上野さんは語りました。減免措置も、元はといえば団塊世代の持てる人びとの税金が原資。これは団塊世代内部での助け合いなのかもしれませんね。

 さて問題は、貯蓄額も低く持ち家率も低い、私たちの世代が老いるときです。そのとき〈在宅ひとり死〉はぜいたく品なのでしょうか? 
「そんなこと、ご自分たちでお考えなさいな」。おひとりさま道の大家、上野先生はそう言うかもしれません。


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